~ 一盌からピースフルネスを ~

もったいないの日本文化 ~ 自然の素材 Ⅳ・稲(米)

 稲は、上から下まで捨てるところがなく、「もったいない」の優等生といえます。稲が実ると、稲刈りをして、脱穀し、実を取り出します。この実が「もみ」と呼ばれ、残った稲の茎、葉が「わら」となります。もみは、硬い皮に包まれてるので、「もみすり」をして、玄米にし、これを、精白し白米が出来ます。この時でる「もみがら」「ぬか」は、再利用できます。「ぬか」は、漬物のぬか床、筍のあく抜き、洗剤などに使われ、「もみがら」は、枕に入れたり、輸送する時の、パッキングや球根の保存に使われ、この「もみがら」を、焼いたものは、土質改良材として効果があります。「わら」は、門松、しめ縄の正月飾りや、祭礼の儀式に使われます。この「わら」から、‟なわ” ‟むしろ” ‟こも”等作られ、わらぐつ、工芸品なども作られます。又、「わら」は馬、牛の飼料にもなり、燃やしてもダイオキシンなど発生せず、灰は肥料になります。

 

〔稲の原産地、及び、日本への普及〕

 稲(米)の原産地は、紀元前三千年頃、インドのガンジス河下流といわれます。原型はインディカ種で、細長く、小粒で、粘り気も少なく、これが突然変異で、丸くて大粒、粘り気のあるものが生まれました。これをヤポニカ種といっており、日本への伝来は、紀元前二、三世紀といわれます。

 弥生時代(紀元前3~紀元後4世紀)には、稲作中心でした。

 奈良時代(8世紀)には、黒米、赤米、白米があり、室町時代(14世紀~16世紀)には、姫飯(普通の飯)が主食として広まり、江戸時代(17世紀~19世紀)には安定期を迎え、庶民も白米を、主食としました。

 明治時代(19世紀~20世紀)以降は、一層純白米が増えますが、ビタミン不足の弊害も問われ、栄養学的改良がなされます。

 

〔粥〕

 米を中心に、水を多量に加え煮るのを、粥といいます。

 普通の飯を、‟姫飯”(ひめいい)と、平安時代(8世紀~12世紀)に言ったそうです。

 この平安時代から、粥の風習はみられ、米を、細かく割って煮たものを、‟割粥”その他、“茶粥” “芋粥” “餅粥” “小豆粥” “七草粥”などあります。

 

 

参考文献 『日本人のしきたりものしり辞典』樋口清之著

2017年9月