~ 一盌からピースフルネスを ~

着物が恋するブラジル -着物はブラジルに熱視線?-

「茶は服のように点て」「炭は湯をわくように置き」「夏は涼しく冬は暖く」

 日本の風土が育んできた文化的な結晶の茶道。その日本的な美の世界を共に築いている一つの要素として着物があります。茶が唐から日本に入ってきた平安時代には着物は盛期といえる展開をしています。8世紀の正倉院裂とこれに先行する法隆寺裂には隋、唐の影響が顕著に有ります。平安時代以降の染織は公家を中心に和風化を強めていきますが、近世には染織文化の担い手も公家、武家から町人、農民へと広がり、多彩な絵画的文様を染めあげた友禅染、能装束などと多彩に展開します。16世紀のヨーロッパでは日本の浮世絵なども影響して着物の呼称が広く知られる様になり、現代においても「KIMONO」の呼称が広く西洋諸国に行き渡っています。

 

着物という言葉

  ところで着物という言葉は「着る」ところの「物」との単純な言葉なのです。
 そこに西洋から明治時代に入ってきた衣服を洋服と呼んだ事で、従来から存在した着物を和の国の衣類として和服と呼ぶようになり、着物と言う言葉との混乱が生じてきました。

 今日では昔に戻り和服を着物という表現を日常生活で使用しています。
着物について振り返ってみた所で、着物の表現には他にも混乱を引き起こさせます。
それは着物を織り方で呼んだり、染色方で、又、格付け方で呼んだりするからです。例えば、『大島の着物』『友禅の着物』『色無地の着物』『絽の着物』などと。

 

帯締めのアレンジメント

 着物は長い年月をかけて育てられた伝統民族衣裳ですが、今日の日常生活において着物は少し遠い存在になり、昔の様な代々受継ぐ大切な品、親から子へ、子から孫へと伝承もおぼつかなくなってきてしまっています。その伝統民族衣裳の寂しい現状は着物の混乱による疎遠があるのではないでしょうか。その原因は何処にあるのでしょう?
 一つに着付け方の伝承不足もありますが、着物の種類の混乱から何を着用すればいいか判らない所にも あるのではないでしょうか。そこで少し整理をしたいと思います。

 

「染めの着物」「織りの着物」

 着物は大きく二分されます。『染めの着物』と『織りの着物』と表現されます。
 『染めの着物』とは白糸のままで反物に織り上げられ、そこに友禅染、藍型染、琉球紅型染などの種々な特徴ある染がなされました。又白生地の反物にも「縮緬」「綸子」「羽二重」などがあります。『織りの着物』とは生糸そのものを染めてから織り上げる、紬織、絣織、お召などがあります。着物の総論における格付けと帯の格付けは、技術、生産量の尺度では反対になり、帯においては染帯より織帯が格上とされます。

友禅染友禅染友禅染友禅染琉球紅型染琉球紅型染琉球紅型染琉球紅型染
紬織紬織紬織紬織絣織絣織
© norio nakayama
 

 茶道に於いては格が重んじられますので、『染めの着物』に『織りの帯』を着用となりましょう。更には洋服でも配慮される要素ですが、季節に合わせて着用の物を選定し、時には季節を先取りして、お洒落を楽しむなど致します。着物においても同様ですが、基本があります。
 日本の季節では6月から9月は暖かなので「単衣」と呼ぶ裏無しの着物、盛夏の7,8月は「薄物」と呼ぶ透感ある「絽」「紗」の着物、10月から5月は寒いので「袷」の着物となっています。

 

着物の文様

 この様な基本を踏まえながら、さらなる楽しみが着物に有ります。それは着物の文様です。文様は昔から種々楽しまれ、意味が込められ、自然への畏敬の念、この世の森羅万象を表現しています。浪漫、願い、幸、滑稽、長寿、御祝い、などの思いを言葉で語り掛けずに、その場に着用して行く事で相手に気持ちを、真心を伝えられます。たとえば「松」は常緑樹で色の変わらない不変性が尊ばれ、千年の樹齢を保つといわれる事から長生きの象徴として吉祥の樹とされています。松だけの文様は平安時代からあり、以来、様々に意 匠化されて、尾形光琳風は<光琳松>、能舞台に見られる雄大な枝振りの<老松>、松の枝を特徴的にえがいた<松が枝>、菱形にアレンジした<若松>、松の枝を咥えて飛ぶ鶴の文様は<松喰鶴>、竹、梅、桜,桐、鳳凰、鯉、花車、御所車、扇、など多くの文様があります。学んで尽きる事のない着物の魅力になっています。

光琳松

光琳松

老松

老松

若松

若松

松

松

 

着物の糸 -ブラジルとのかかわり-

 ここまで着用における着物を見てきましたが、少し視点を変えてみたいと思います。着物の生地を織る糸に注目してみると、驚く事にブラジルと深い繋がりが見つかりました。
 糸は植物や動物の様々な繊維から糸を創ります。植物の茎や幹などの靭皮繊維を引きいて繊維を取り出す「績む」糸と、蚕の繭から糸を引き出し「紡ぐ」糸があります。着物に必要な絹糸は後者、蚕の繭から紡がれます。日本に置ける絹糸は江戸時代の輸出品86%をしめる品質でした。しかし中国の混乱、フランス、イタリアの蚕の病気が影響して品質が低下した為、この機に日本の官営製糸工場が計画され、1872年フランス人指導で「富岡製糸場」が造られました。(2014年世界遺産に認定されました。) 1877年には日本の絹糸はリオンにも輸出される勢いのあるものでした。日本が海外への移住計画を取った折、ブラジル移民の夢の中にも絹糸生産の夢も含まるのは当然でした。

 1909年ブラジルの生糸生産量は中国の清を抜いて世界一とまでなっていました。が1914年世界大戦が起こると、残念 にも敵国 扱いで厳しい時代を送りました。その中バストスの日本移民者は苦しさを耐え抜き1930年に“ブラ拓製糸株式会社(BRATAC)を立ち上げ、ブラジル製糸業の近代化を図り全ブラジル生産量の80%強をBRATACが占めるまでになりました。1998年の絹糸生産量は中国、インド、ブラジルで全生産量の90%を占めて、ウズベキスタン、に次いで5番目が日本です。現在は日本における着物反物はほとんど輸入糸に頼っている現状です。その品質においては過去の日本での製糸工程を受け継ぎ、守って生産を続けているのがブラジルのBRATAC社しかありません。その糸での染め、織りは昔から守ってきた本来の絹反物の出来上がりを保証してくれます。着物作家にとりまして、作品の出来を左右するとして、切望する生糸と言えましょう。現在のBRATACは日本の着物需要低下を耐え製糸工場展開の他、本社では蚕の交配も研究、蚕の餌である桑の研究、製糸温度管理、等さらなる飛躍へと努力されています。欧州エルメスも認め、商品ほとんどをBRATACの生糸から織られているとの事です。日本から遠く離れたブラジルですが、日本の着物の将来にも関わる深い繋がりをブラジルにおいて感じられます。

 

吉積俊子

経歴
JICA 日系シニア短期ボランテア 文化
京都工芸繊維大学  大学院卒
生花教授、箏曲演奏、
住宅設計、呉服店勤務

2016年6月