~ 一盌からピースフルネスを ~

22. 知足

「足るを知る」と聞けば、京都の龍安寺の蹲踞(つくばい)が有名です。「吾唯足知」(われただたるをしる)と彫られている。わかりやすく言えば、分相応の現状に満足しそれ以上のものを求めない心のこと。老子に由来し、禅語・仏教用語であり。「知足」とは、足るを知る心を持ち、自分が既に持っているものに満足し、感謝することを意味します。侘茶の創始者村田珠光は禅の僧侶であったので、その境地を「茶禅一味」と提唱しました。足利義政から村田珠光に「茶の心は何か?」と聞かれたとき、「茶とは、遊にあらず、芸に非ず、一味清浄ただ禅悦の境地にあり」と答えたといいます。 

さて一例をあげると。鎌倉時代の執権・北条時頼(ほうじょうときより)が平宜時(たいらののぶとき)を招き、相談事をしてそれが終わると、「一杯やるか?」ということになり二人は肴になるものを探すが、見つからない。時頼は、台所に片隅の味噌を見つけ 「これはいい肴が見つかった。」ととびきりのごちそうを楽しむかのように味噌をなめながら酒を飲んだという。(『徒然草』より)こうした心を知足といいます。こうした侘茶の精神の「知足」が、鎌倉時代に建仁寺の栄西によって開かれる禅宗の、質素を旨とする関東武士の間に広まりました。

後に、茶の湯の大成者といわれる、千利休の茶の湯理念にも、「足ることを知って、分に安ず」という精神があります。『南方録』の巻頭の覚書に 「家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにて足る事也。是仏の教え、茶の湯の本意也。水を運び、薪をとり、湯を沸かし、茶をたてて、仏の供へ、人に施し、我も飲む。花をたて香をたく。みなみな仏祖の行ひのあとを学ぶ也。」とあります。

知足安分 ちそくあんぶん  【足ることを知り。己の分に案じること】

知足者富 ちそくはとみなり 【欲望にはキリがない。足ることを知れば、安穏無事で豊かな境地に至る】

知足常楽心 ちそくをしれば、らくしんをつねにす【楽心とは、歓楽の心。心に落ち着きがあって不安が無く 歓楽を得るということ】

この「知足」の言葉には、深い意味があります。

2026年7月