和の心 富士山賛歌
『和の心』
今年2019年度より、2年間連載した『もったいないの日本文化』に引き続き『和の心』と題し、日本人の自然観や、美意識、生き方などを考察していきたいと思います。参考文献は、夢の設計社企画の『夢プロジェクト』と1991年発行、8月号の『芸術新潮』を参考にさせて頂きます。
1 富士山賛歌
日本人の自然観や美意識の中には、桜と富士山が大きな比重をしめている。古来より富士山は山岳信仰の対象とされ、富士山を神体山として、又信仰の対象として考えることなどを指して、富士信仰といわれるようになった。富士山の神霊として考えられる浅間神社の総本宮が、富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)であり、「本宮」と「奥宮」において富士山の神様を祀っている。この浅間神社に祀られるのは、”コノヤサクヤノヒメ”で江戸時代に盛んになった「冨士講」の信仰対象とされた。
富士山についての最も古い記録は、『常陸国風土記』における「福慈岳」という語であると言われ、不二山、不尽山と表記する古文献もある。
【富士山の姿】
赤富士、紅富士、逆さ富士、ダイヤモンド富士、影富士、傘雲富士、等の言い方で表現される。
富士山写真提供 松本吉司よしのり氏(日本在住)
〔文学や芸術に見る富士〕
-万葉集の中で、山部赤人やまべのあかひとは、こう詠んでいる。
田子の浦ゆ うちいでてみれば ま白にぞ
富士の高嶺に 雪は降りける
-『竹取物語』では、竹から生まれたかぐや姫は、八月の十五夜に月に帰る時、不老不死の薬を残していく。時の帝は、不老不死の薬は不要と考え、もっとも天に一番近い山〔富士山〕の頂上で燃やした。この不死に因み、その山は富士と名付けられた――という。
-太宰治は、昭和14年〔1939年〕に執筆した小説『富嶽百景』の一節に、「富士には月見草がよく似あふ」といい、その碑文が、山梨県の御坂峠みさかとうげに残っている。又太宰は、この中で、「風呂屋のペンキ画のようだ」と御坂峠からの眺めを称した。
-楽焼白片身変茶碗(らくやきしろかたみがわりちゃわん)
17世紀の陶芸家の本阿弥光悦の作の白楽茶碗である。銘は≪不二山≫と名付けられ、美しい雪峯の形の茶碗である。別名《振袖茶碗》ともいう。国宝。
【表富士、裏富士】
静岡県から見た富士を表富士、山梨県から見た姿を、裏富士という。
富士山は、あらゆる日本人の自然観の中で、信仰にも結び付き、かつ風呂屋のペンキ画にも表れ、葛飾北斎の『富嶽三十六景』は、日本人の美意識の中にしみ込んでいる。
北海道の羊蹄山は、蝦夷富士と呼ばれ、千住の氷川神社には、富士塚などもある。
こんな所にも富士山?
富士山は、古来から霊場として、又現代人にとっても、必需品といえるほど、日本人の美意識、自然観の中に浸透している。
2019年2月