~ 一盌からピースフルネスを ~

7. 梅に鶯

 “梅に鶯”とは、日本の詩歌や絵画における伝統的な、絵になるような良い二つの取り合わせ、又は仲の良い間柄のたとえで、古代中国の漢詩に由来します。

 二つのものが調和しているさまを言います。

 一例を挙げると、花札。「花かるた」と呼ばれ、語源は、ポルトガル語のCarta で、安土桃山時代(16世紀)に宣教師が持ち込んだカードゲームですが、現在使われている花札は、江戸中期に完成して、12の図柄からなります。

 この花札の中に、梅に鶯、松に鶴、紅葉に鹿、牡丹に蝶、柳に燕等があります。他に、竹に虎、薄に月等もあり、ペアリング・マッチングのことです。

 本日のテーマの“梅に鶯”は、美しい声で早春を告げる鶯と春の訪れを知らせる梅を、詩歌や絵画の題材として、ペアリングさせると、優美で絵になる素晴らしい組み合わせだということを表した一例です。

 

〔メジロ説〕鶯は、ホーホケキョと鳴き、色は茶色、カエルや虫を食べますが、メジロは、チーチーと鳴き、色は緑、スズメより小さく、虫も食べるが、梅などの花の蜜を吸うといわれ、普通は、梅に鶯といわれるが、鶯ではなくメジロではないか?との考えもあるようです

 

 江戸端唄に、『春雨』『梅はさいたか』等があり、唄われています。

 古今和歌集には、「梅の花 見にこそ来つれ うぐいすの ひとくひとくと 厭ひしもをみる」読み人知らずーーとあります。意味は、梅の花を見に来たら、梅の木のウグイスが、「ひとく ひとく(人が来た 人が来た)」と嫌がったというユーモラスな内容です。

 

鶯宿梅おうしゅくばい
 この“鶯宿梅”は、梅の一品種ともいわれ、香りが優れ、花は白、又紅・白も交じって咲くと言われます。村上天皇(10世紀)の時代に、有名な故事があります。清涼殿の梅の木が枯れたので、紀貫之きのつらゆきの娘紀内侍きのないしに梅を所望したところ、紀内侍から梅の木に次のような歌が添えてあったとのこと。

  勅なれば いともかしこし うぐいすの 宿はと問わば いかに答へむ
  (天皇の所望であれば献上しますが、いつも来る鶯がやってきたら、
   止まっていた宿がなくなりますね~~〕**嘆きの和歌

 それを読まれた村上天皇は、文学を好み、琵琶に長じておられる文化人であったので、その梅の木を、紀内侍にもどされたという。拾遺集しゅういしゅう大鏡おおかがみなどに見られる故事で、またはその梅の木のことをいいます。

2020年3月

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